日本のガラスのはじまり
1. 日本のガラスのはじまり
 日本で発見されている最も古いガラスは、弥生中期(紀元前4~3世紀)と考えられている小さなガラス・ビーズです。これらは主に中国からもたらされたものでした。
 弥生後期(紀元後1~3世紀)には新たに南インドや東南アジア製の特徴をもつビーズが数多く輸入されています。また後期の遺跡からはガラス勾玉用の鋳型がいくつも発見されていて、2千年位前から、日本では輸入ガラス材を使ってガラスの加工を行っていたことがわかります。
 古墳時代(3世紀後半~7世紀)になるとビーズの輸入はさらに増えて古墳に副葬されました。西アジア製のガラス器もいくつか発掘されています。
2. ガラス文化の隆盛 ~飛鳥・奈良時代~
 飛鳥・奈良時代になると、さらに多くのガラス製品が、上流階級で使われるようになります。有名な正倉院に納められている数々のガラス製品に、その状況を見ることができます。カットを施したガラス器などは輸入品ですが、小さなガラス製品、たとえば魚や小尺(ものさし)の形をした飾具などは国産品と思われます。同じく正倉院にある古い文書(8世紀前半のもの)には、ガラス玉の製造のための原材料・燃料などの記録が残されていて、この時代に大量のガラス玉が日本でつくられていたことが分かっています。じっさい、飛鳥池遺跡(7世紀後半)のガラス工房跡からはガラスの原材料、坩堝、型などが出土し、原材料を熔融してガラスを製造する技術がすでにあったことが判明しています。
3. 空白の時代 ~平安・鎌倉・室町時代~
 平安時代(8世紀末~12世紀末)に入ると、ガラスの遺品は少なくなりますが、平安時代の文学、「源氏物語」や「枕草子」などには、ガラスの杯や壺が出てきますから、貴族社会では輸入品のガラスがよく使われていたのだと思います。また12世紀になると博多遺跡群からガラス玉やガラス坩堝が数多く出土し、玉類の製造がふたたび盛んになったことがわかります。当時お寺の建立や仏像制作が急増し、装飾用ガラスの需要が増大したためと考えられます。しかしそれも長くは続かず、13世紀以降は次第に衰えたようです。
4. ガラス文化の新しい幕開け ~室町後期(戦国時代)以後~
 日本のガラスの新しい歴史は、天文18年(1549年)、フランシスコ・ザビエルが来日し、後に山口の領主、大内義隆にガラス器、鏡、めがねなどを贈ってキリスト教布教の許しを求めたことに始まるようです。その後、新たにヨーロッパとの交流が始まった結果、多くのガラス製品が輸入され、ガラスのもつ実用性の素晴らしさに気づかされたのでした。江戸時代以降はそれまで作れなかった容器類も次第に製造できるようになります。



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